子育てをする産業医が考える、見えない負担と組織の成熟
「言ってくれればやったのに」
家庭でも職場でも、よく耳にする言葉です。
一見、協力的に聞こえます。でも私は、この言葉に少し違和感があります。
なぜなら、その言葉の裏には、「気づくこと」「考えること」「判断すること」は、最初から誰か一人の役割になっているという構造が隠れているからです。
1. 家事より疲れるのは、家事を考えること
二人の子どもを育てながら、産業医として働き、日々知識をアップデートし、自身の会社を育てる。
そんな日々のなかで、私は「忙しさ」の正体について考えることが増えました。
子供を早朝から相手をし、食事、排泄始末、保育園送り迎え、夕食からお風呂から、遊び相手、寝かしつけ、時には夜泣き対応。
もちろん、これらは時間も体力も使います。
けれど、それ以上にエネルギーを消費するのが、頭の中で絶えず動き続けている無数の判断です。
- 今週の子どもの体調は?予定は?
- 次の予防接種はいつ?お祝い事の予約やスケジュールは?
- 急な発熱で仕事を休む必要がある。どの予定を調整する?誰にどう助けを求めれる?
こうした見えない認知的負担は「メンタルロード」と呼ばれます。
そして興味深いことに、これは家庭だけの問題ではありません。
職場にも、同じ構造が存在しています。
2. 優秀な人ほど、見えない仕事が増えていく
- 会議の前に論点を整理する人。
- 誰かが困る前に先回りして調整する人。
- チームの空気を読み、衝突を未然に防ぐ人。
こうした仕事は、成果として可視化されにくいものです。
それでも、誰かが担わなければ組織はうまく回りません。
そして、その役割を担う人が優秀であるほど、周囲は無意識に頼るようになります。
「あの人なら大丈夫」
「いつもちゃんとやってくれるから」
信頼は、時として依存に変わります。
産業医としてさまざまな職場のメンタルヘルスに関わるなかで、私が大切だと考えるのは、本人のストレス対処能力だけではありません。
その人が置かれている環境や、組織の意思決定のあり方にも目を向けることです。
人を強くすることと、人の強さに依存しない環境をつくることは、まったく別の仕事です。
そして私は、これからの産業保健は後者にもっと踏み込むべきだと考えています。
3. 子育ては、私にとって最も身近な組織論だった
家庭と会社は違います。
家庭は利益を追求する場所ではないし、家族の関係を労働生産性だけで測ることもできません。
それでも、限られた時間と資源を配分し、異なる価値観を持つ人同士が協力するという点では、似ている部分があります。
子育てを通じて私が考えるようになったのは、公平とは、必ずしも全員が同じ量の仕事をすることではないということです。
得意不得意があってもいい。
仕事に集中する時期があってもいい。
外部のサービスやテクノロジーに頼ってもいい。
けれど、自分が担っていない仕事が、誰かの時間や思考によって成り立っていることには、自覚的でありたい。
私はそれを、役割分担以前の「想像力」の問題だと考えています。
他者の見えない負担を想像できること。そして自分にできることが他にもないか模索すること。
自分の当たり前が、誰かの努力によって支えられていると認識できること。
それは、家庭でも職場でも、人と協働するための基本的な能力ではないでしょうか。
4. 健康とは、選択肢を持ち続けられること
健康という言葉を聞くと、病気がないことや、健診結果の数値が良いことを思い浮かべるかもしれません。
もちろん、それらは大切です。
でも私は、健康の価値をもう少し広く捉えたいと思っています。
健康とは、自分の人生について、選択肢を持ち続けられるための土台でもある。
例えば、
- 仕事を続けたいと思ったときに続けられること。
- 子どもを持ちたいと思ったときに、必要な知識や支援にアクセスできること。
- 育児や介護をしながらも、自分自身のキャリアを諦めなくてよいこと。
- 心身の調子を崩したときに、立ち止まる選択ができること。
こうした選択肢は、本人の努力だけで決まるものではありません。
職場の制度、周囲の理解、社会の文化、そして経済的な条件にも左右されます。
だからこそ、健康を個人の自己責任だけで語ることには限界があります。
働く人の健康を考えることは、その人の人生の自由度を考えることでもある。
私はそう感じています。
5. 「頑張らなくていい社会」をつくりたいわけではない
ここで、少し誤解を避けたいことがあります。
私は、努力や挑戦を否定したいわけではありません。
むしろ、新しいことに挑戦することも、自分の限界を広げることも好きです。
仕事に熱中する時間には、人生を豊かにする力があると思っています。
ただし、自分の意思で挑戦することと、構造的な問題によって頑張らざるを得ないことは、まったく違う。
前者には主体性があり、後者には消耗が生まれやすい。
組織に求められるのは、すべての負荷を取り除くことではなく、その違いを見極めることではないでしょうか。
挑戦する自由と、立ち止まる自由。
どちらも持てることが、成熟した組織の一つの姿だと思います。
6. 産業医という仕事の可能性
私が産業医という仕事に魅力を感じるのは、診察室の外にある健康の要因に関われるからです。
一人の従業員の不調をきっかけに、業務量や役割分担、マネジメント、職場文化を考える。
健康診断の結果から、働き方や生活習慣、企業の健康施策を考える。
そして、働く人が人生の転機を迎えたとき、医学的な視点から意思決定を支える。
健康と経営は、決して離れたテーマではありません。
人を大切にすることと、組織が持続的に成果を出すことも、本来は対立するものではないはずです。
必要なのは、目の前の不調だけを見るのではなく、その背景にある仕組みまで考える視点です。
7. 人の可能性が自然に育つ社会へ
私は産業医であり、小さな会社を育てようとしている代表であり、過重労働者の妻であり、二人の子どもの母親でもあります。
どの立場も、私に異なる世界の見方を与えてくれます。
子育てで感じた小さな違和感が、職場の課題を理解するヒントになることもある。
産業医として得た知識が、家庭での意思決定に役立つこともある。
そして過重労働者の妻として、当事者意識を持って、問題を指摘するだけでなく仕組みそのものをつくる側に立ちたいと思うようになりました。
小さな会社ではありますが、産業保健を軸に、働く人の健康と組織が持つ可能性を考え続けていきたいと思っています。
私が目指すのは、
誰かの犠牲の上に成り立つ頑張りを減らし、一人ひとりが、自分の意思で挑戦できる社会です。
そのために、医学と経営と、人間への好奇心を持ち続けたい。
そして最後に、こんな問いを残したいと思います。
「あなたの職場や家庭は、誰かの見えない頑張りによって支えられていませんか?」